「エクスコムグローバル株式会社」代表取締役社長の西村誠司さん。
「にしたんクリニック」や、コロナ過でのニーズに合わせたPCR検査サービス事業など、
マーケティングに長けている社長です。
そんな西村誠司社長ですが、実は幼少期での生い立ちが壮絶だったそうです。
西村誠司社長の生い立ちとはどんなものだったのでしょうか?
この記事では悲惨だったと語る西村誠司社長の生い立ちや経歴についてまとめているよ!
西村誠司社長の生い立ちが壮絶!
不妊治療クリニックで知られている「にしたんクリニック」や、
PCR検査のサービス事業を先駆け業績をのばした西村誠司社長。
そんな西村誠司社長の生い立ちは壮絶だったと言われています。
どんなことがあったのかまとめました。
- 父親が病気で余命宣告
- 母親が自殺未遂
- 13歳で新聞配達
かなり壮絶だね・・涙
そうだね・・一つずつ解説する前に家族構成をみていこう
- 父親
- 母親
- 兄
- 西村誠司(1970年5月20日生)
- 弟(3歳下)
西村誠司社長は3兄弟の次男として愛知県名古屋市に生まれました。
それでは西村誠司社長の生い立ちについて一つずつ解説していきます。
父親が病気で余命宣告
西村誠司さんの父親は小さな焼き鳥店を営んでいましたが、
西村誠司さんが幼稚園の年長の頃に「肝硬変」で余命5年と宣告されてしまったそうです。
焼き鳥店は手放すことになり、家族は生活保護を受けて生活していました。
そのあとお父さんは肝臓がんを患ってしまったみたい・・。
西村誠司さんの父親も、まだ小さい子供がいながら一家の大黒柱である自分が
働けなくなってしまったのはとてもつらかったことと思います。
焼き鳥店を営んでおられたということは、責任感が強くサービス精神旺盛なお父様だったことでしょう。
母親が自殺未遂
西村誠司さんが小学校2年生の時、将来を悲観した母親がお風呂場で自殺未遂を図ってしまったそうです。
運よく西村誠司さんが発見し、救急車を呼んで母親は一命をとりとめました。
母親は父親の病気が発覚後、重度のアルコール依存症に陥ってしまい、
父親が肝臓がんを患ってしまったあとは、更にひどくなり毎日のようにお酒を飲んでいたそうです。
母親が重度のアルコール依存症で働きに出れず生活保護をうけていたんだね。
母親は道端で寝てしまい何度も警察のお世話になったり、家の鍵があいていないと窓を割ってしまったり
アルコール依存症専門の病院にも診てもらったそうですが、治らなかったといいます。
お母さんは西村社長が30歳くらいの時に60歳で亡くなられているんだ。お母さんはずっとアルコール依存症と闘っていた人だけど困っている人を放っておけないような情に厚い方だったみたい。
13歳で新聞配達
西村誠司さんは、中学生になってすぐ新聞配達を始めました。
当時、西村誠司さんは13歳。
家族のため無意識に自分が稼がないといけないと思っていたそうです!
13歳でその意識を持つなんて・・中学生なら自分のやりたいこともあったはずなのに家族のために行動をおこした社長はすごい人だね。
西村誠司さんは、幼少期の貧困生活があったからこそ、その経験が成功への道につながったと
語られています。
西村誠司さんは、自身の経験を決して悲観視せずビジネスへの成功を掴んでいったんですね!
西村誠司社長の経歴
名 前 | 西村誠司 |
読み方 | にしむらせいじ |
生年月日 | 1970年5月20日 |
年 齢 | 54歳 |
出 身 | 愛知県名古屋市 |
最終学歴 | 名古屋市立大学卒。 |
西村誠司社長の経歴を紹介していくよ!
1993年:アンダーセンコンサルティング入社(現アクセンチュア)
1995年:インターコミュニケーションズを設立・社長に就任(現エクスコムグローバル)
1997年:海外用レンタル携帯電話事業を開始
2012年:海外用Wi‐Fiレンタルサービス「イモトのWiFi」のブランドを開始
2019年:メディカル事業をスタート、「にしたんクリニック」の立ち上げを支援
2020年:PCR検査サービスを実現。
コメント